大阪地方裁判所 昭和42年(わ)7772号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔判決理由〕(訴因についての判断)
検察官は本件訴因として刑法一〇八条(現住建造物放火罪)を主張するのでこの点につき本件各証拠を検討するに、焼失した三棟の建物はそれ自体家屋密集地帯にあり、本件放火の現場となつた非現住建造物である作業場兼倉庫と類焼した現住建造物である二棟の建物とはいずれも相互に約六〇センチメートルぐらいしか離れていないこと、火勢もかなりの速度で広がつてみるみる三棟が全焼するに至つたこと、被告人においても日ごろから松城方家人から軽んじられ本件当日も判示のように馬鹿にされ相当憤慨していたこと、等の事実はいずれも被告人において未必的にもせよ現住建造物放火の故意を有していたのではないかと疑わせるけれども、他方、まず犯行時間が夕方であり且つ付近に数人の人がいたのにかかわらず三棟焼失という大事に発展したのは、主として放火現場付近に引火性の高いスプレー等があつてこれに引火したためであると考えられるところ、被告人においてこのようなスプレーがあることを認識していたことをうかがわせる証拠はないこと、本件放火はもちろん計画的なものではなく、前かけのポケットからハンカチを取り出そうとした際にたまたまマッチに手が触れてマッチを持つていることに気付いたことから、癲癇患者に通有の衝動的反応としてなされたものであること、放火した作業場兼倉庫は軽量鉄骨モルタル張りであつて一見耐火性の高いものとも見られ得ること、さらに被告人は判示のように真性癲癇のため知能の発育が遅れ、医師津田清重作成の精神鑑定書によれば、被告人の知能程度は通常人に比しかなり劣つており、また観念内容は貧困で思考過程も迂遠であり末稍的な些事にとらわれ物事を全体的に把握する能力に欠けていると認められること、等の事実を綜合すれば、被告人の「腹いせにちよつと燃やすつもりだつた。コンクリートだからよそに燃え移るとは思わなかつた。」との趣旨の被告人の弁解は、犯行当時の被告人の放火の故意内容として首肯し得るところであつて、周囲の状況としても犯行の時間は仕事のひけ時で人の出入りの多い夕方であり且つすぐ近くには松城方家人ら数人の人がいて早期に発見消火されることも予想しえない状態ではなかつたこと、犯行後自宅に逃げ帰つていた被告人が事の成り行きに驚いていたこと、等の事実はいずれも右認定にそうものである。
以上により、犯行当時被告人において未必的にもせよ右作業場兼倉庫にとどまらず隣接する現住建造物まで焼燬する故意を有していたと認めるに足る十分な証拠はなく(被告人の捜査官に対する供述調書中には、未必の故意を認めたかのような記載部分があるが、この点は前記諸事情と被告人の当公判廷における供述態度にてらして信用しない。)被告人の犯意は判示のように非現住建造物焼燬の限度においてその存在を認めるのが相当であつて、結局被告人の本件行為については非現住建造物放火罪の既遂の成立を認め得るにとどまる。
なお、本件は刑法一〇九条一項の罪を犯して因つて刑法一〇八条所定の現住建造物を延焼させた場合であるところ、延焼を罰する刑法一一一条にはこのような場合の規定を欠くので、右延焼の点は非現住建造物放火罪に包括されて刑法一〇九条一項の一罪が成立するものと解するのが相当である。(下村幸雄 川上美明 二官征治)